最高裁判所第三小法廷 平成6年(行ツ)206号 判決 1997年1月28日
上告人
本間弘彦
同
村鑛一
同
津田吉康
右三名訴訟代理人弁護士
木村和夫
林良二
被上告人
根本康明
右訴訟代理人弁護士
石津廣司
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高裁裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人木村和夫、同林良二の上告理由第一について
一 本件記録によれば、上告人らが本件訴訟を提起するに至った経過は、次のとおりである。
1 茅ケ崎市土地開発公社は、昭和六一年三月二六日、茅ケ崎市の代理人と表示して、日本国有鉄道との間で、国鉄を売主、茅ケ崎市を買主とし、代金四億九五八一万四〇〇〇円で国鉄茅ケ崎駅北口前の本件土地外一筆を買い受ける旨の本件売買契約を締結し、同月二八日、右売買を原因として同市に所有権の移転登記がされた。本件売買契約には、買主は右土地を所定の期間内は交番・多目的ホール敷地に供するものとし、買主が右土地を右用途以外に供したとき又は右期間内に第三者に譲渡したときは、売主は売買契約を解除することができ、右契約が解除されたときは、買主は売買代金の一〇分の一に相当する違約金を売主に支払うものとする特約条項があった。
2 本件土地は、国鉄の承諾を得ないまま、所定の期間内である昭和六一年八月二二日、第三者に売り渡され、同月二六日、右売買を原因として所有権移転登記がされた。
3 国鉄を承継した日本国有鉄道清算事業団は、昭和六二年一〇月八日、茅ケ崎市に対し、本件売買契約の特約に違反して本件土地が転売されたことを理由に、同契約を解除する旨の意思表示をするとともに、違約金四九五八万一四〇〇円の支払を催告した。これに対し、茅ケ崎市は、本件売買契約に違反するところはなく、契約解除及び違約金の支払請求には応じられない旨の回答をした。そこで、国鉄清算事業団は、同年一二月八日、茅ケ崎市に対し、違約金四九五八万一四〇〇円の支払等を求める訴えを提起した。茅ケ崎市は、これに応訴し、本件売買契約における特約の有効性自体を争い、請求の棄却を求める旨の答弁書を提出した。
4 平成元年八月一五日、右訴訟の第一五回口頭弁論期日において、茅ケ崎市が国鉄清算事業団に対し和解金一四九〇万円を同年一二月末日までに支払うこと等を内容とする裁判上の和解が成立した。茅ケ崎市は、同年一一月七日、国鉄清算事業団に、右和解金を支払った。
5 茅ケ崎市の住民である上告人らは、平成二年三月二三日、右和解金一四九〇万円の支払は本件売買契約の違約等に基づく違法不当な支出であり、これにより同市は損害を被ったから、同市の市長である被上告人個人の負担でこれを補てんさせるため必要な措置を執ることを請求する旨の本件監査請求をした。これに対し、茅ケ崎市監査委員は、同年五月一九日、本件土地を国鉄から買い受けて第三者に売却したのは茅ケ崎市土地開発公社であると認められ、茅ケ崎市と国鉄との間の売買契約は存在せず、和解金の支払にも違法不当性はないから、上告人らの主張には理由がないとして、右請求を棄却する旨の監査結果の通知をした。
6 上告人らは、右の監査結果を不服として、平成二年六月一五日、被上告人は、本件売買契約における前記特約の存在を知りながら、あえてこれに違反して本件土地を第三者に転売し、茅ケ崎市に違約金一四九〇万円の支払を余儀なくさせて同額の損害を与えたから、同市に対して右損害を賠償する義務があるところ、同市は損害賠償請求権の行使を怠っていると主張して、右怠る事実の相手方である被上告人に対して、同市に代位して損害賠償金一四九〇万円及び平成元年一一月七日以降の遅延損害金の支払を求める本件住民訴訟を提起した。
二 原審は、財務会計上の行為が違法、無効であることに基づいて発生する実体法上の請求権の不行使をもって財産の管理を怠る事実とする監査請求については、右行為のあった日又は終わった日を基準として地方自治法二四二条二項の規定を適用すべきものであり(最高裁昭和五七年(行ツ)第一六四号同六二年二月二〇日第二小法廷判決・民集四一巻一号一二二頁)、上告人らは本件土地の転売行為が違法であることに基づいて発生する損害賠償請求権の不行使をもって財産の管理を怠る事実として本件訴訟を提起したのであるから、その前提としての本件監査請求は、右転売の日を基準として同項の規定を適用すべきであり、同項の期間を徒過してされた不適法なものであると判断し、上告人らの前記の訴えを不適法として却下した。
三 しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
前記事実関係によれば、本件売買契約における特約に違反して本件土地の転売がされたとしても、それだけで当然に違約金請求権が発生するものではないとされているから、右転売行為の時点において直ちに茅ケ崎市が違約金相当の損害を被ったという余地はない。そうすると、右時点においては、転売行為が違法であることに基づく茅ケ崎市の被上告人に対する損害賠償請求権はいまだ発生していないことになるから、監査請求の対象となるべき右損害賠償請求権の行使を怠る事実も存在しないというほかはない。それにもかかわらず、当該怠る事実を対象とする監査請求につき、転売行為の日を基準として地方自治法二四二条二項の規定を適用し、同項本文の期間が進行するものと解することはできない。前示第二小法廷判決の判旨は、右のような場合にまでそのまま妥当するものではなく、財務会計上の行為が違法、無効であることに基づいて発生する実体法上の請求権の不行使をもって財産の管理を怠る事実とする住民監査請求において、右請求権が右財務会計上の行為のされた時点においてはいまだ発生しておらず、又はこれを行使することができない場合には、右実体法上の請求権が発生し、これを行使することができることになった日を基準として同項の規定を適用すべきものと解するのが相当である。
本件においては、上告人らの主張するように被上告人が本件転売行為をし、これが違法であったとすると、国鉄清算事業団が本件売買契約の解除をしたことにより、契約条項の上では茅ケ崎市の同事業団に対する売買代金の一割相当の違約金債務が発生したことになるが、前記の事実関係によれば、地方公共団体である同市が同じく公的団体である同事業団の請求に対して右債務の存在を否定する対応をし、同事業団の提訴に対しても転売禁止の特約の有効性自体を否定する答弁をして応訴し、その後二年八箇月余にわたってこの争いが続行した結果、最終的に裁判上の和解による解決をみたのであって、その間、同市は、右債務負担を否定し続けていたというのであるから、他方で被上告人に対して右債務負担によって損害を被ったと主張して損害賠償請求をすることはできない立場にあったものというべきである。そうだとするなら、右主張の下においては、前記和解により右違約金の一部に相当するとみられる和解金の支払が約され、茅ケ崎市の債務負担が確定した時点において、初めて同市の被上告人に対する損害賠償請求権を行使することができることとなったというのが相当であるから、右和解の日を基準として地方自治法二四二条二項の規定を適用すべきである。
以上によれば、右和解が成立した平成元年八月一五日から一年が経過する以前にされた本件監査請求は、同項の期間を遵守したものとして適法であり、これを不適法と判断して上告人らの前記訴えを却下した原判決は、同項の解釈適用を誤るものというべきである。したがって、予備的請求に係るその余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は全部破棄を免れない。そして、本案につき更に審理させるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)
上告代理人木村和夫、同林良二の上告理由
原判決には、以下のとおり判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。
第一 原判決は、上告人らの主位的主張、すなわち茅ケ崎市と旧国鉄との売買契約違反を理由とする主張につき、本件請求は地方自治法二四二条二項の監査請求期間を徒過してなされた不適法なものであるとして請求を却下したが、これは右条項の解釈適用を誤ったものである。
一 本件における上告人らの請求は、要するに、茅ケ崎市長たる被上告人は、茅ケ崎市が旧国鉄から買受けた本件土地をその売買条件に明らかに違反して第三者に転売したことにより、旧国鉄の承継者たる国鉄清算事業団から茅ケ崎市に対し損害賠償請求の訴訟を提起され、その結果右両者間に成立した裁判上の和解により、同市が右事業団に違約金として金一四九〇万円を支払うことを余儀なくさせ、よって同市に対し右同額の損害を与えたものであるところ、茅ケ崎市は被上告人に対し、その損害賠償請求権の行使を怠っているので、上告人らにおいて同市に代位してその支払を求める、というものである。
ところが原判決は「本件請求は、茅ケ崎市長の財務会計上の行為である右転売行為を違法とし、これに基づいて発生する損害賠償請求権の不行使をもって財産の管理を怠る事実としているのであるから、本件請求の前提としての前記監査請求は同条二項の期間を徒過してなされた不適法なものである」とし、その論拠に最高裁判所昭和六二年二月二〇日判決を引用している。
すなわち、原判決は、転売行為を右判決にいうところの「当該行為」ととらえ、同行為のなされた昭和六一年八月二二日を基準として地方自治法二四二条二項を適用すべきものとし、平成二年三月二三日になされた本件監査請求を右条項に違反する不適法なものとしたのである。
二 しかしながら、原判決の右判断は、右最高裁判決の趣旨を正解したものではなく、誤りである。
右判決が説示するところは、当該事案及びその理由中に示されている監査請求に期間制限が設けられている趣旨についての判断から明らかなように、特定の財務会計上の行為としての当該行為(例えば公金の支出)が存在し、その当該行為によって実体法上の請求権が発生しているような場合、したがって右具体的な請求権を直ちに構成することができるのに敢えて違法な当該行為が原因となって生じた、その当該行為といわば表裏の関係にある職務上の懈怠を「怠る事実」と構成することによって監査請求期間の制限を免れることはできないとするものである。
右最高裁判決において、「特定の財務会計上の行為を違法であるとし、当該行為が違法無効であることに基づいて発生する実体法上の請求権の不行使をもって財産の管理を怠る事実としているものであるとき」と判示されているのは、右の趣旨に解すべきである。
しかるに、本件においては、本件土地の転売行為は、契約の相手方たる旧国鉄との関係において、茅ケ崎市に契約違反に基づく責任を発生せしめる原因となっているけれども、茅ケ崎市と転売行為をなさしめた被上告人との関係においては、同市の被上告人に対する職務上の任務違背に基づく損害賠償請求権、すなわち「実体法上の請求」は、未だ発生するに至っていないのである。その後における国鉄清算事業団による損害賠償請求訴訟の提起及び和解による違約金支払の約定の成立ないしその履行としての公金の支出によって始めて現実の損害が発生し、その賠償請求権が発生するに至るのである。
したがって、本件において上告人らは、転売行為がなされた時点においては監査請求をなすすべはなかったのであり、法二四二条二項の期間は和解成立の日である平成元年八月五日ないしこれに基づく違約金支払の日である同年一一月七日を起算日とすべきである。
三 この点につき第一審判決が、前記最高裁判決の判示に鑑み、本件の如く監査請求期間内に実体法上の具体的請求権が発生しない場合には、「右原則の例外とすべき特段の事情があるとして、右請求権を具体化した日を基準として同項を適用するのが相当であると解される」としているのはその限りにおいて正当である。
原判決は、右判決の趣旨及び本件における相対的な法律関係を正解せず、転売行為という損害賠償請求権発生の一事由のみを機械的に取り上げて監査請求期間を論じているものであって、その不当なることが明らかである。
四 ところで本件は、最高裁判所昭和五三年六月二三日判決の事案に類似するものであり、同判決が援用されるべきである。その事案は、町の収入役が町長の職員を利用して農協から金員を詐取した事件につき農協が町に対し損害賠償請求の訴訟を提起し、その判決に基づき町が農協に賠償金を支払ったことにつき、住民が、右収入役の不法行為に町長も加担援助したとし、町長が町に対して右不法行為による損害賠償義務を負っているのに町がこれを怠っているとして監査請求をした、という事案であるが、判決はこの請求を財産の管理を怠る事実にかかる請求と解すべきものとし、怠る事実にかかる請求については法二四二条二項の適用はないとしたものである。
同判決と前記最高裁昭和六二年二月二〇日判決との関係については、「特定の財務会計上の行為としての当該行為の介在の有無で区別される」とする見解(曽和俊之「住民訴訟の実務と判例」一四三)その他(阿部泰隆・判例総合研究「住民訴訟④」、判例評論四二四号)が存在するが、むしろ、本件第一審判決が述べているように、当該行為に基づいて実体法上の具体的請求権が直ちに発生するか否かによって区別されると解すべきものと思われる。すなわち、最高裁昭和五三年六月二三日判決における元収入役及び町長の不法行為によっては、町の町長等に対する具体的な損害賠償請求権が直ちに発生するわけではなく、その後の農協による町に対する損害賠償請求及びその請求権の確定(判決)によって右請求権が具体化するのであり、この理は本件においても同様である。したがって、本件においても、右最高裁判決に従い監査請求期間の適用がないとするか、あるいはその適用があるとしても和解により違約金債務が発生した日を起算日とすべきである。
五 原判決は、本件売買契約において違約金は確定的に売買代金の一〇分の一とされており、転売行為が明らかになった段階で上告人らは損害賠償のみならず、何らかの回復措置を取るよう監査請求することが可能であった、としている。
しかしながら、国鉄清算事業団が茅ケ崎市に対して約定違反を理由として何らかの責任追及をするか否か、あるいはどの程度の請求をするかは、まったく同事業団の自由意思によるものである。約定において、違約金は売買代金の一〇分の一とされていても、果してその額を請求するか、また請求したとしても、茅ケ崎市がこれを争っている以上その額が如何程となるかは不確定である。当時の新聞報道によれば、旧国鉄からその用地を購入した地方公共団体のうち転売禁止の約定に違反して転売したケースが本件茅ケ崎市のほか京都府夜久野町及び久美浜町の二件があったが、この両町は非を認めていずれも土地を転売先から買戻したため始末書を徴しただけで損害賠償その他の請求はなされなかった、ということである(昭和六二年九月二一日付朝日新聞)。
したがって転売行為がなされた段階において、茅ケ崎市の被上告人に対する具体的な損害賠償請求権が発生する余地はなく、上告人らがこれを代位行使するなどということは考えられない。
また、原判決のいう何らかの回復措置が何を指すのか明らかでないが、仮りに転売先からの土地の買戻しの措置が考えられるとしても、茅ケ崎市が右事業団の請求に対し訴訟その他で争っている現状において、住民たる上告人らがそのような監査請求をすること自体が無意味である。
総じて原判決の判断は、住民訴訟に対する無理解を示すものであって極めて粗雑なものと評さざるを得ない。
第二、第三<省略>